腸壁を削って美味い物を食す

元潰瘍性大腸炎(軽症)患者であった筆者(現在は完治済)が、症状が再燃するリスクを覚悟してでも食べたいと思うほど美味しかった逸品(主に麺類)を紹介していくブログです。不定期更新ですが、地道に書き進めていきます。よろしくおねがいします。

778. コロナ闘病記

今回の記事は、ドイツ出張記の続きです。

 

kenshinkk.hatenablog.com

 

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という事で、

機内泊×2を含む6泊7日のハードな出張を終え、

日本に無事に帰ってきた。

実は無事ではなかったとわかったのが、

帰国の翌日(土曜日)である。

 

【土曜日】

お昼までは、症状も何ともなく、

ラーメンを食べに行ける元気があった。

 

しかし、夕方になり、

いきなり「あ、これ熱だな」

と自覚できるほどの熱さが身体全体から感じられ、

熱を測ったところ・・・

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あ、終わった。

そう思った。

 

医療機器展示会は、

ドイツのルールに従うので、

もちろん全員ノーマスク。

しかも、喋りまくり。

ここでもらった可能性もあるが、

もっとまずいのは、帰りの飛行機。

エールフランスだったので、

フランスのルールが適用される。

つまり、こちらもノーマスク。

それが12時間にわたり、隣の人と至近距離が続く。

おそらくどちらかで、移されてるだろうな。

 

そんな予想をしつつ、

その日はすぐさまPCR検査を実施するため病院へ。

 

検査結果は翌日に出るということで、

帰りに大量のスポーツドリンクと、

保存食やレトルトを買い込んで帰宅。

ロキソニンを飲んで、布団に入ることにした。

 

しかしながら、時差ボケで全く眠れない。

体内時計が8時間ずれていたので、

日本の24時はドイツでは16時。

眠くなるはずがないのである。

 

【日曜日】

ようやく眠りにつけたのは朝5時頃で、

起きたら11時だった。

熱は39.5℃まで上がっていた。

 

これはもう、確定だろう。

検査結果を見るまでもない。

でも一応、何があるかわからないから・・・、

そう思って検査結果を見てみると・・・

 

結果:陰性

 

いや、うそだろ。おい。

こんなに熱が高くて、

喉も痛くて、

陰性??

 

いやいやありえない。

もう一度、検査をやり直しに行こう、

と思った数秒後、

追加で飲んだロキソニンが効いてきたのもあり、

意識を失うように、眠りについたのだった。

 

【月曜日】

息苦しさと、のどの痛みで目が覚めた。

熱は38.5℃。

これではまだ会社には行けそうにない。

PCR陰性だが、休む連絡を入れ、

かかりつけの内科に行ってみることに。

すると、

「発熱している方は院内に入らないでください」

と言われてしまい、病院の外へ。

感染防止でこんな対策をしているんだ、

と勉強になるとともに、

その対策が大正解だったことをのちに知ることになる。

 

寒い中、しばらく外で待つという苦行を経たものの、

なんとか万全に隔離した状態で診てもらえることに。

ただし、仮にコロナだったとしても、

特効薬のようなものは無いので、

コロナじゃない時と同様、

問診で薬を出すだけしかできない、

と言われてしまった。

発熱、のどの痛み、咳、痰、鼻水

それらに効く薬を処方してもらい、

ひとまずはそれらを飲んで過ごすことに。

 

結局その日は、

38度~39度を行ったり来たりしており、

病院に行った以外は、

基本的にずっと布団の上で過ごしたのであった。

 

【火曜日】

月曜から火曜にかけての夜は、全く眠れなかった。

夜に副交感神経優位になって気管支が狭まるため、

昼よりも咳の出る確率が上がり、

一度出始めると止まらなくなるのである。

さらには、時差ボケも重なり、

咳が安定している隙に寝ることもできない。

まさに地獄のような0~6時を過ごし、

知らぬ間に気を失っていて、

目が覚めたときは昼すぎであった。

当然ながら会社は休みであるのだが、

前日のうちに連絡しておいて良かった。

 

PCR陰性を信じていたのだが、

会社からは再度検査するよう連絡が来たので、

祝日明けの木曜日に再び出社するために、

今度は抗原検査を受けに行くことにした。

 

何かの記事で、

抗原検査とPCRでは、PCRの方が精度が高い、

と書かれていたのを見ていたので、

まあ、どうせ陰性でしょ、

と思いながら検査を受けたのだった。

 

結果はこちら。

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え、うそ。まじか。

やっぱり感染してたのか。

 

なんか、同じタイミングで検査を受けた人よりも、

結果を渡しに来るのが遅いなーとは思っていたので、

そんな予感がしていたのだが。

 

すぐさま会社に連絡し、

この週は休むことに。

こうなったら仕方がない。

とことん休むしかない。

 

それにしても、なぜ1回目のPCRで陰性だったのか。

周りの人でも、熱の出始めは陰性で、

その後で陽性になる人が何人かいたが、

自分もそれと同じパターンだったようである。

 

【水曜日】

この日も朝寝て昼起きるパターンだった。

そんなわけで、まだ熱も下がらない。

咳が止まってきちんと寝られれば良いのだが、

体内時計が完全崩壊している。

本来だったらそろそろ時差ボケが治るころだが、

その真逆である。

 

実は、この記事は、

そんな眠れない夜中に、

携帯の音声録音機能でひたすら文章を作っていったものを、

後で修正して作っていった成れの果てである。

なので、支離滅裂な部分があることはご了承頂きたい。

 

【木曜日】

ようやく熱が微熱に落ち着いてきた。

だが、咳がとにかく止まらないし、

痰も絡んで絡んで仕方がない。

いつになったらこの苦しみから解放されるのだろうか。

オミクロン株でよかった。

デルタ株までなら、これ以上辛いパターンもきっとあったと思うので、

不幸中の幸いとはまさにこのことなのだと思う。

 

【金曜日】

帰国から1週間。

発症以来、初めて熱が36℃台を示した。

まだ咳が出まくっているし、

時差ボケは治る気配が無いが、

ようやく、落ち着いてきた。

来週には仕事復帰できそうな気がする。

一応メールだけは見れているが、

ほぼ2週間不在だったようなものなので、

かなりの仕事が溜まっている。

復帰後の激務を想像して、

また微熱に上がってしまったので、

すぐに寝ることにした。

 

【土曜日】

ようやく完全に平熱に下がる。

咳だけはここから1週間以上続き、

この記事をアップする12月7日現在でも、

まだ後遺症として根強く残るのであるが、

本格的な闘病生活としては、

この日でほぼ終わりを迎えたのであった。

 

【日曜日】

実をいうと、この日、草野球の試合があった。

もちろん、治ったばかりの身体では試合に出れないし、

後遺症の咳で感染拡大してしまう可能性もあったので、

自分は出場しなかった。

 

だが、実はこの1週間、

病床に伏せながらも、

試合のセッティングをこなしていた。

 

思えば壮絶な1週間であった。

高熱で意識がもうろうとしながらも、

練習試合の申し込みを多数行い、

試合が決定したと思った矢先に、

自分を含めてドタキャンが多数発生。

火曜日時点で参加者5人。

残り5日で助っ人4人を集めなければならない。

ネットの掲示板でも募集にも手を出し、

他の参加者の協力もあって、

なんとか9人集めることに成功。

試合のセッティングは多数行ってきたが、

これほどしんどかったことは無い。

 

だが、試合は無事にできたようで、

それだけは良かったと心から思った。

 

なお、午前中の試合だったため、

時差ボケによって試合開始時刻に起きれず、

起きたときには既に試合が終わっていた。

 

【月曜日】

この日から仕事に復帰し、

溜まりに溜まった業務をこなしていく日々が、

スタートしたのであった。

 

しばらくは午前中は眠いことが多かったものの、

徐々に時差ボケも完全に治っていった。

 

2週間が経過した今も、

喉が完全には戻っておらず、

声が変だったり、たまに咳が出たりするが、

ようやく普段通りの毎日に戻った。

 

 

ということで、

長々と書いてきた闘病日記も終わりとなるが、

まとめると、発熱と咳と、

時差ボケを伴った睡眠障害がキツかったものの、

それ以外の症状が出なかったのが、

不幸中の幸いであった。

 

とくに、味覚や嗅覚に異常が出なかった

というのが個人的にはラッキーだったと思う。

 

美味しいものを食べるのが生き甲斐のひとつであったし、

それを奪われなくて本当に良かった。

今は普段通りラーメン屋通いも再開することができたので、

次回からは、また食べ物に関する投稿も再開していこうと思う。

 

日本国内でも、第8波ということで、

感染者が増え続けているので、

皆様もお気をつけください。