腸壁を削って美味い物を食す

潰瘍性大腸炎持ちの筆者が、病状が悪化してでも食べたいと思う逸品(主に麺類)を思いつくままに紹介するブログです。

127. 『容疑者Xの献身』東野圭吾

実を言うと初めてまともに読んだ長編小説であり、初めて買った文庫本である。

買ったのは大学一年生の夏。

それまで、本は基本的にマンガしか読んできておらず、活字は嫌いであった。

センター試験でも、国語の小説の部分の成績は最悪であり、

ピタッとはまった場合に50点をとったこともあったが、全然ハマらなかった場合は16点など悲惨極まりない点数。まさに大波小波を繰り返す状態であった。

もっと早くから小説の面白さに気付いていれば…と今更後悔しても遅い。

よくよく考えてみると、マンガであろうと、小説であろうと、ストーリーテリングというジャンルでみれば同じであって、単純に絵があるかないかだけの違いである。

昔から、ワンピース、ナルト、名探偵コナンなど、メジャーどころのマンガやアニメを見てきて、伏線の面白さやどんでん返しの面白さに気付いていたわけだから、

小説だって絶対食わず嫌いせずに読んでいれば面白く読めたはずなのに…。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、本作品のレビューに入る。

前置きにも書いたように、本作が初めて読んだ長編小説ではあったが、コナンや金田一などを読んでいたため、ミステリー自体には抵抗はなかった。

むしろ、それらの王道パターンが頭に入っていたので、この作品の結末およびトリックには大いに驚かされた。

 

以下、ネタバレ注意

 

当時、ちょうど前年にドラマでガリレオシリーズを放送しており、受験生ながらそれを見ていたので、湯川先生や草薙刑事など、登場人物の概略は知っていた。

そのパターンからすると、いきなり母と娘が元夫(父)を殺害してしまう場面から始まったので、この作品はかなり異色だなとこの時点から感じていた。

古畑任三郎のように、すでに犯人がわかっていて、探偵or刑事が犯人を追い詰める様を楽しむ作品というのはたくさんあるが、

今回の場合は、天才数学者・石神がいかにして犯行を隠したのか、という、いわゆる「ハウダニット」の一種。

 

湯川が石神に直接会いに行くところから戦いは始まっているわけだが、小説・映画ともに再会のシーンがとても良い。ここでの会話や、そのあと石神の家で湯川が飲む場面での会話、そして弁当屋に一緒に行くときなど、日常的なところにヒントがちりばめられている。

中でも、石神が自分の容姿を気にする発言をしたというだけで、靖子への恋心に気付き、犯行への関与を疑い始めたのは、湯川にしかわからないところ。

「幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題である」といった、数学を学んでいた人(とくに理系の大学受験経験者)ならきっと一度は経験したことのある問題を、殺人隠ぺいに応用してしまうとは、やはり石神(を生み出した東野先生)は天才すぎる。

確かに前提が間違えていれば、そこから導かれる結論も間違ってしまうわけで、きっと警察(この作品の中の)だけだったら欺かれてしまっていたに違いない。

このトリックの肝は、石神がもうひとつの殺人を犯すことで完成させた、殺害日時が1日ずらされたことによる完璧なアリバイなわけであるが、

作品自体の肝としては、そこまでして花岡母娘を守ろうとした、まさに「献身」ともいえる行動をとった石神の「純愛」である。

自分は自殺したくなるほど落ち込んだことはないが、そこまで追い詰められてしまったところを救われたのなら、献身できるほどに人を愛することができるのかもしれない。

ただし、その愛情の表し方が犯罪という形になってしまったというのは、非常に残念であるし、悲しい結末である。作中で湯川が述べているが、「それだけの優秀な頭脳が犯罪に使われてしまったというのが残念」という一節もまた切ない。

今回の事件では、湯川は実験を一切しておらず、いつもより人の感情に寄り添っている。それまでの事件では、現象を明らかにして満足して終わりということが多かったが、今回は石神の心情を理解しながら、それでも話さずにはいられないということで、靖子に真実を告げている。

ガリレオの長編ということで、「物理とか数学とかたくさんでてきて理系にとってたまらない小説になるんだろう」という予想は完全に裏切られ(いい意味で)、純粋に人間ドラマとして感動してしまった。

小説では、ラストの石神の咆哮がなんともいえない切なさで、そこで余韻を残しつつ終わる。

映画はちょっと描写が違っていたり、描写が一部違っていたりするが、堤真一さんの演技もさすがだった。

 

ということで、この作品を読んで以降、自分は完全に読書にハマってしまい、東野ワールドにものめり込んでいくこととなる。

でも、あのタイミングで小説に触れていなかったら、今も読書の習慣は身についていなかったかもしれないし、自分にとっての「面白さ」の世界観を変えてくれた一冊と出会えたことは人生にとって非常に大きかったので、本当に東野圭吾大先生には感謝しかない。